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人物南部伯爵

南部家43代当主がもたらした「南部系」と「盛岡連合会」。
43代当主「南部利淳」と、本来44代を継ぐ人物だった夭折の若殿「利貞」の貴重な資料を掲載します。

「南部系」を作った 43代当主利淳、利貞親子

「南部利淳」─南部家43代当主、伯爵、東京帝国大学法科中退

南部利淳伯爵肖像

盛岡藩主であった南部家は、戊辰戦争で新政府軍に敵対したために、藩主の地位を失うとともに、「賊軍」として新時代を生きることを余儀なくされた。
42代当主・南部利祥(としなが)は、朝敵の汚名を晴らすため日露戦争に於いて満州の最前線にて活動、指揮を執ったが、明治38年(1905年)3月4日、井口嶺の戦いで戦死、享年23歳(陸軍騎兵中尉、伯爵)。
同年、利淳公が日露戦争で戦死した兄利祥の後を継ぎ南部家第43代当主となる。

南部利淳伯爵は、大正10年欧州に外遊された時ベルギーの優秀なる一流のレース鳩を買い求められた。これらの鳩は長男「利貞」に引き継がれ、後に「南部系」と言われた。

南部利淳伯爵の長男「利貞」

南部利貞公肖像

2013年までその具体的な氏名が不明となっていた、本来44代を継ぐ人物だった夭折の若殿。

昭和3年(1928年)、18歳の若さで亡くなり、そのため南部家は昭和4年、一條實輝公爵の三男を養子に迎えた。遺稿集「鳥のゆくえ」に記された緻密な研究結果からは競翔家および学者の片鱗が伺われる。(10代の人物が記載したとは思われないものがある。)

父・南部利淳夫妻は文化芸術に造詣が深く、「南部鉄器」の改良普及にも努めた。

(国書刊行会「蔵から出てきた盛岡」より)

南部利淳公・利貞公の2代により形成された「南部系」の歴史は、「欧州皇室・日本の皇室・南部家と南部系」のページで詳しく紹介しています。

南部利淳伯爵 資料集

南部利淳の娘と娘婿44代当主利英が上梓した「おもかげ」より

南部利淳伯爵 略歴(明治17年~昭和5年)

南部利淳伯爵資料1 南部利淳伯爵資料2 南部利淳伯爵資料3

南部利淳伯爵 肖像

南部利淳伯爵肖像1 南部利淳伯爵肖像2

海外旅行の思ひで

海外旅行の思ひで

伯爵が世界各地を旅行した際に撮影した写真が掲載されており、旅行家の一面が伺える。

1)エジプト 2)ローマ 3)アゼンス
4)ニース 5)ポンペイ 6)ヴェニス

国書刊行会「蔵から出てきた盛岡」より

弓を構える南部伯爵

左から2番め、弓を構える南部伯爵

伯爵とその家族

伯爵とその家族

伯爵夫妻

伯爵夫妻

洋装の南部伯爵夫妻

洋装の伯爵夫妻

伯爵の訃報を伝える新聞

伯爵の訃報

岩手日報 昭和5年(1930年)1月2日の号外。

1月1日に薨去(こうきょ)された南部伯爵の訃報を伝え、「ありし日の伯爵の写真」などが掲載されている。

胃潰瘍にて急逝。享年45歳。

兄・南部利祥伯爵銅像

南部利淳伯爵銅像1 南部利淳伯爵銅像2

兄・南部利祥伯爵(42代当主)の銅像。

現在は岩手公園(盛岡城跡公園)に台座のみ存在。

書家・南部利淳が自ら刻した鶴堂、朴堂の篆刻

鶴堂、朴堂の篆刻

岩手県立図書館における企画展「南部のお殿様、明治を生きる」

岩手県立図書館の企画展

2014年4月25日(金)~5月29日(木)、岩手県立図書館にて南部伯爵の企画展が開催され、貴重な資料が展示された。

上:南部利恭(最後の盛岡藩主)
中:南部利祥(軍人)
下:南部利淳(文化人)

展示資料目録

南部利貞公 資料集

南部利淳、妻巖子が上梓した遺稿集「鳥のゆくえ」より

南部利貞公 略歴

利貞公略歴 利貞公略歴2

南部利貞公 肖像

南部利貞公16歳の時

南部利貞公16歳の時

鳩を持つ利貞公

鳩を持つ利貞公

洋装の利貞公

洋装の利貞公

利貞公の鳩舎

鳩舎正面図

鳩舎正面図

鳩舎側面図

鳩舎側面図

利貞公 著「鳩の研究」

鳩の研究1 鳩の研究2 鳩の研究3 鳩の研究4
競翔家および学者の片鱗が伺われる「鳩の研究」に関する文章

日本鳥類学会にて

日本鳥類学会での集合写真

日本鳥類学会での集合写真。

右端が利貞公(当時中学生)。1人だけ年少である様子が窺える。

勢山系創始者「勢山庄太郎氏」とともに貴重な写真

「勢山庄太郎氏」とともに貴重な写真

国立国会図書館に所蔵されている、戦前我が国で初めて発刊された鳩界雑誌「鳩」に掲載された貴重な写真。

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